「世紀の美男子」「元祖ハンサム」といわれたフランスの俳優・アランドロンさんの死因について調べてみました。一世を風靡したアランドロンさんの若い頃について、また代表作品を振り返ってみたいと思います。
日本でも人気を誇ったスーパースター・アランドロンさん。亡くなった際には、フランスのマクロン大統領が「彼はフランスの記念碑だった」と語ったのが印象的でしたね。
そんなアランドロンさんの死因、また経歴を見てみましょう。
アランドロンの死因は?
アランドロンさんの死因は公表されていませんが、長らくリンパ腫を患っていたことが分かっています。亡くなったのは88歳のときで、病気の治療はスイスで行っていたそうです。集中治療室に3週間入院するなど重篤な状態になったこともあったといい、徐々に衰弱していったのだそう。
また、治療をスイスで行ったということで、アランドロンさんはスイスで安楽死を迎える意向も示していたことが分かっています。
【参考サイト:東亜日報】
スイスには安楽死団体があり、安楽死を人権の1つとして考えています。
アランドロンの経歴をまとめ
アランドロンさんは1935年にフランス・パリで生まれました。17歳のとき軍隊に入り、インドシナ戦争に従軍。22歳のときにスカウトを受け、映画デビューを果たしています。
その後、ハリウッド進出を試みたアランドロンさんでしたが、惜しくも実現ならず。フランスでその名を馳せ、日本でも高い人気を誇るスター俳優となりました。
1971年公開『レッド・サン』では、あの三船敏郎さんと共演もしていますよ。
アランドロンの代表作は?
アランドロンさんの代表作は、フランス映画『太陽がいっぱい』や『冒険者たち』があります。『太陽がいっぱい』では、欲望に駆られ友人を殺めてしまう青年を熱演しました。
『冒険者たち』では凱旋門の低空飛行に挑戦するパイロットを演じました。アランドロンさんの役どころは、凱旋門通過の依頼者に騙されパイロットライセンスを失うという設定。彼らを捕まえコンゴの海に眠る財宝の話を聞き出し、財宝を目指し仲間とともに「冒険者たち」となる作品でした。
アランドロンの晩年は?
アランドロンさんは2019年に脳卒中を患い、手術をしたことが明かされました。その後は徐々に衰弱していったといい、カンヌ国際映画祭で映画史への功績をたたえる「名誉パルムドール」を受賞した以降は、目立った活動をしていませんでした。
【参考サイト:日本経済新聞】
アランドロンさんが脳卒中で倒れると、3人の子どもたちはその治療法を巡って対立していました。アランドロンさんには4人の子どもがおり、1人はすでに亡くなっています。そんな家族の対立や不仲が明るみになったのも、アランドロンさんが病に倒れてからのことでした。
【参考サイト:BBC NEWS JAPAN】
アランドロンの若い頃がカッコよすぎる!
アランドロンさんは「元祖ハンサム」と呼ばれる圧巻の美貌で、世界中を虜にしてきました。
あまりに有名すぎるゆえ、中には歴史上の人物のような印象を持っていた人もいたそう。「今までご存命だと知らなかった」という若者もいましたよ。
【参考サイト:中日スポーツ】
イケメンすぎるがゆえ、女性関係も派手だったというアランドロンさん。来日した際、日本人リポーターから「日本人女性に興味はありますか?」と聞かれ憤慨したというエピソードもありました。
【参考サイト:zakzak】
まとめ
アランドロンさんの死因について調査しました。アランドロンさんの死因は公表されていませんが、脳卒中やリンパ腫を患い治療していたことが明らかになりました、病に倒れ衰弱していったというアランドロンさんは、スイスで安楽死を迎える未来も考えていたそう。実際のアランドロンさんの死因は分かっていませんが、晩年は不調に苦しんでいたのですね。稀代の名優・アランドロンさんの作品や美貌は、今後も語り継がれていくことでしょう。